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プロフィール

2018年3月16日

はじめまして、
「りんご」です。

2016年4月にのぶ(旦那さん)と岡山県の田舎にある実家に転居し、
りんごの母と三人暮らし。
デザイン系の非常勤講師をするかたわら、
念願だった「インターネットでお仕事をする」ことを決意。

夢への一歩を踏み出しました。
このブログではそんなりんごが
パソコンインストラクターや電話サポートの経験を活かし、これでもかと噛み砕き

初心者やシニアに優しい
ブログ&メルマガを利用した
ネットビジネスのはじめ方&稼ぎ方
をお伝えします。

りんごのビジネスコンセプトは
===================
子育てを卒業し
自分の為に
自立したゆとりある日常を
手に入れる
===================
です。

「ゆとり」の種類や大きさは人それぞれです。
日常のちょっとしたこと
ガソリンの値動きが気になる
(高いときは給油を思いとどまる)
年金制度のニュースに一喜一憂
(いつから貰えるのかいくら貰えるのかにビクビク)
そんな毎日を送っていませんか?

全ての不安や心配を払拭するのは難しいですが
月に数万のプラスアルファがあれば、「ゆとり」は感じられます。

この仕事を始めて、7万/月の収入が確定したとき
めちゃくちゃ旦那さんに優しくなったりんごです(^^)
アフィリエイト成約が立て続けに2本決まった時
「何か欲しいものある?」とドヤ顔になりました

また、この度の「コロナ 旋風」
とても言葉では言い尽くせない惨劇です。
りんごのお家も、旦那さんの収入激減で大変ですが
ネットの副収入のおかげで、生活に不安なく過ごせています。
(本当にこのビジネスを始めておいてよかったと感じています)

あなたも、経済的な不安を払拭し
さらには、生きがいを手に入れ日常のランクアップを目指してみませんか

りんごがお手伝いします (*^o^*)/。

 

「りんご」と「appli(屋号)」の命名について

りんごのアイコン
「りんご」はインターネットにお世話になり始めた頃から使っているハンドルネームです。

赤いりんごのアイコンで覚えてくださいね(^^)

 

りんごにした理由は

その1:果物のりんごが大好きなのです。
今のところ世の中で一番好きな食べ物です。
その2:「Apple」という名前の会社にあやかって
Macくんを作っている会社ですが、大好きです。最初に手にしたのは「PowerBook5300CE」というノートです、それ以来Macくんとはどんな時も離れず一緒です。Windows機は仕事のパートナー、Macくんは心の友です

 

「appli」はビジネス上の屋号です。
以下は2000年にappli名で作成した最初のホームページです。
ちょっと崩れてますが今でも見れます(Flash なので環境によっては表示できません)
http://appli.red/appli27 クリック↓↓↓↓↓↓↓
appli27のトップページ
この時書いたプロフィールがこちらです。(クリックすると拡大表示されます)
↓↓↓↓↓↓↓
appli2000プロフィール

冒頭に書いたこの思いは今も変わりません。
appliは屋号です。Machintosyuが大好きで、りんごも大好き!
appleとしたいけど、いくらなんでも・・・とひともじモジりました。
appliapplicationという単語からとりました。適応、応用という意味があります。
環境や状況に柔軟に対応できる。でも、自分らしく。
そんな生き方がしたいという思いを込めました。

「appli」のロゴは、2000〜2001年に通ったデザイン専門学校時代に制作したものです。
実は、これ丸と棒だけでできていて、電光看板が作りたかったので、市販の蛍光灯で安く作れるように考えたのです o(^-^)o(看板作りはまだ実現していませんけどね、いつか作るぞ!)
appliロゴ

 

Ringo

そしてこのブログ「Ringo」は、
ブログ&メルマガでアフィリエイト で収入を得る方法をご紹介するために
作ったブログです。

りんごのメインサイト[appli]から分離させて
2018年7月7日に誕生しました。

テーマにあるとおり、ブログ&メルマガを利用したネットビジネスに取り組むことで

「ゆとりのシニアライフ」

を目指すための、ノウハウや考え方を発信しています。
「シニアライフ」とある通り、シニア&プレシニアの方を想像しながら記事を書いていますが、もちろん若い方も大歓迎です。

モットーは初心者に優しくシニアに親切にです。
なるべく噛み砕いた解説を心がけていますので、

大丈夫です勇気をもって呑み込んでください(^^)

りんごの仕事歴々

りんごはたくさんの仕事を経験しました。
医療系短大を出て国家資格を取得し、「臨床検査技師」になりました。
当時はまだこの職業があまり認知されておらず「それ何するん?」とよく聞かれました。
しかし、「手に職」と言われる時代がおとずれ、身につけた資格は私をとても助けてくれました。
小学校の頃から、白衣を着る仕事がしたいと思っていたので、願いは叶いました。

結婚を機に退職&引越し、転居先でも「臨床検査技師」で再就職しました。
しかし、同僚に誘われるまま他の世界も覗いてみたいと思い営業職へ転職。
その後、子育てする将来を考えて、家でできる仕事を探しました。
巡りあったのがワープロで文章入力をする仕事でした。
(当時、私がハマったのは「富士通のOASYS」)
そうこうしながら、仕事内容は文章入力からDTP(画像やイラストが入る)へと移行して行きました。
自宅での仕事だけでなく、派遣会社に登録し入力系の仕事を色々やりました。

色々いろいろあって離婚、バツイチのシングルマザーとなります。
ドタバタの後、実家に出戻って「臨床検査技師」として地域の病院に就職をしました。
待遇は正職員、給料もボーナスも申し分なかったし環境にも恵まれていました、このまま定年まで居てもいいかなと思っていました。
ようこ病院時代
だが、そうやすやすと人生は運びません。
父の病気や死を経験し、親の助けなしにはままならない現状を見直しました。
実家に頼らず息子と二人で自立することを決意しました。
病院に退職届けを出して、プランも勝算もないまま、息子と二人実家を出ました。
(かなり、かなり、無謀だったと思います。でも自分らしい道を選ぼうと決心したのです。)
ようこ牧場の館
一年間は仕事をしない、もう臨床検査技師はしない、と決めていました。
貯めた貯金を頼りに、食いつなぎました。
兼ねてからデザインの勉強がしたかったので、デザイン専門学校にも通いました。
自分に許した一年を終え、就いた仕事はパソコン教室のインストラクターでした。
病院時代に取得したMacの知識と技術が武器となったのです。
「Macだけでは、コマ数が少ないので、Windows系の講義もやりませんか」と言われ、
ワードやエクセルその他の諸々の講座を制覇して行きました。

パソコン教室のインストラクターは常勤の仕事ではなく、
何教室かを数名のインストラクターでまわします、毎月シフト表が配られ担当が割り当てられます。
つまり、翌月のコマ数(収入)が保証されていません。
安定収入確保のため、もう一つ仕事を探しました。
人づてに紹介を受け、あるビジネススクールの広告作成をするMacオペレータとなりました。
作成していたのは、そのスクールの新聞記事下広告,校内のポスターやチラシなどです。
それに加えWindows系ソフトも得意だったりんご、教材やデータベース作成等色々やりました。
週半分をパソコンスクールで教え
のこり半分をMacと一緒に広告を作るという、まさに二足のわらじでした。

派遣会社の仕事も追加しわらじは三足に、収入もまあまあ、充実していました。
マイクロソフトのMOTというインストラクター資格も取得しました。
この道で行こうとしていました。

しかし
人生は面白すぎです
またまた、転機が!
友達のお姉さんに「陽子さん(りんごの本名)にいい仕事がある、話を聞いて」と言われ
紹介された仕事の面接を受けました。
キッパリ断るつもりで出かけましたが、
担当者を前に「わかりました、やります。」

え!!、どういうこと?返事した自分が驚いた次第です。

なぜだかわからないのですが「行こう」と思ったのです。
三足のわらじはどれも言えばフリーター、
来月、再来月、の仕事の約束は何もありません。
息子は中学生になっていたのでそろそろお金がかかりだす、安定収入は魅力的だったこともあります。
転職後時給は半分になりましたが勤務時間が長いため月収としては同額程度稼げました。

 

そして、ここから10年超この職場で働くこととなります。

のちに、
この職場で現在の旦那さんと出会い再婚することになるので、
今思うと何らかの力に引き寄せられたのかもしれません(^^)

 

やれやれ短く書いたつもりですが、えらいかかってしまいました、すみません。

ご紹介したいりんごの人生はまだまだ盛りたくさんです。
このブログやメルマガで、暴露して行きます。

題して「りんごの波乱万丈」
自分で言うのもなんですが 壮絶です! こうご期待!!

 

「りんごの波乱万丈」はりんごメルマガで配信中!
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それではいよいよ本題(え!いまから!?(笑))
2016年春に岡山へ引っ越すことになった経緯(いきさつ)と、
りんごが
「ブログ&メルマガ」でアフィリエイトビジネスに挑戦しようと決心するに至った思いをお話しします。

 

いつかは岡山へ という思いが生まれた

—–ここから文体がドキュメントぽくなります—–
岡山へ行ってもいいよ
岡山県真庭市、りんごの実家があるところ。
旦那さんが台所の換気扇の下でタバコ吸いながら「ポツリ」と呟いた。
「岡山へ行ってもいいよ」
「え?!」っとりんごは思った。
田舎で一人暮らししている母、
小さいけど、美味しい野菜が取れる畑。
夏には蛍が飛んで、冬は満点の星空が広がる。
「いつか帰ろう」
と小さな決心をした。
でも、現実的には田舎すぎて仕事がない。
当時旦那さんとりんごは同じ職場で働いていた。
その仕事を手放してまで田舎に帰る決心はつかなかった
「いつか風がふくよ」
そう言いながら、引越し資金を積み立てはじめた。

 

突然仕事がなくなると言われた

安泰だと思っていた仕事がなくなる

突然「風は吹いた。」
それもとんでもない突風だった。
安泰だと思われていた職場がなくなることになったのだ。

りんごの勤めていたのは大手のグループ企業、
ネームバリューも規模もそれはそれは大きくて、安泰の文字の上にあぐらをかいていた。

主な事業内容は、電話でのテクニカルサポート業務。
りんごはオペレーターからインストラクターへ、スーパーバイザーとなり日々奮闘していた。

同じような業務をする事業所が国内に何箇所かあった。
色んな理由でりんごの勤めている事業所が閉鎖されることが会社の上の方で決まった。
知らされたのは秋深いころ、閉鎖は翌年の3月末と告げられた。
会社が示してくれた道は3択だった。
その1:同じ会社の別の部署への転属
その2:他のグループ会社への転属
その3:退職して全く別会社への転職(これには手厚いリクルート支援がついた)

 

かなり迷った、決めても決めても何度も迷った。
でも、これぞ「追い風」と信じ、思い切って飛んでみることにした。

りんごと旦那さんは 退職&再就職を選んだ
引越しを決意し田舎に帰った。
それまで同居していた息子は独立し一人暮らしを始めた(りんごは子育てを卒業した)。

 

引越し、実家のある岡山へ

田舎暮らしへ
築150年超の古(いだけの)民家に住むことになった。

田舎に帰り旦那さん共々失業保険を頼りに半年ほどプー太郎(無職生活)をした。
文字通り、食う寝る生活。
桜が咲けば、近隣の名所を全て巡り
オリンピック(リオ)中はTV
ざんまい。(ノ≧∀≦)ノ・‥…
北陸〜信州温泉巡り、マイカーで2000キロのドライブ旅行をしたりもした。

田舎暮らしはそこそこ快適だ。
近所付き合いも順調で、同年代の仲間も多く旦那さんもすぐ打ち解けた。

旦那さん共々狩猟免許を取り、狩人にもなった。

実家はとにかく古い、りんごが幼い頃から築100年と言われていたので、150年超え?
とっても古いが、度重なる改装を繰り返しなんとか持ちこたえている。
持ち帰った荷物で床が抜けないか心配だが、雨露はしのげる。
勿論持ち家でローンはない。
何とかなりそうだと感じた。
写真、畑

 

再就職

夏が終わりをむかえる頃、
そろそろ働こうとリクルートの担当者にこう告げた。


「できれば2つの仕事を掛け持ちでしたいです。デザインを作る仕事と教える仕事、
どちらかに決められないので両方やりたいです。」

その時の担当者が本音でどう思ったかは知らないが。

女性で、
50歳を過ぎて、
飛び抜けたキャリアがある訳でもなく、
住まいはど田舎で、

何を言っているのか、
一般事務やレジ打ちさえ探すのが難しい状況じゃないか 

と心の声が聞こえた

 

結局リクルート会社はあてにせず、
ハローワークの求人情報で運命的に仕事を見つけた。
デザインを教える非常勤の講師の仕事だった。
勤務日は週の半分、単価は申し分なかった。
自力で申し込みをし、面接を受け、採用された。

 

そしてもう一つの「作る仕事」については失業保険が出る間は求人票を探した。
印刷会社やHP製作会社等、週何日かのパートの仕事は街に出ればなくはなかったが、
気の進む巡り合わせはなかった。

 

それよりも自由な時間とそれがもたらす心の余裕が捨てがたくて、
もう一つ勤務先を決めることはやめた。
作る仕事はフリーランスでやろうと決めた。
すぐには無理だがそのうちなんとかなるだろうと持ち前の気楽な自分がささやいた。

 

旦那さんも、街でのパソコンサポートの仕事が決まった。
ただし、毎日片道60キロの通勤を頑張ることとなった。

でも、そうこうしてこの地に根を下ろす気持ちは固まった。

 

国民年金と健康保険と市民税が怖い

さすがに週3日だと収入が少ない

 2016年9月に再就職して、1年半経過した頃。
新しい職場にも仕事にも慣れた。
しかし、課題は放置されたまま、週3日の勤務以外の仕事&収入の確保だ。

この度の退職は100%会社都合、
失業保険も待機期間なくすぐ支給となった。
また、年齢と勤務年数から算出された給付日数は270日(9月分)充分だ。

270日より前に就職をしたりんごだったが
「週18時間以内の勤務」のため、就職とはみなされない。
仕事しながら、失業中という状況になった。
つまり、働かない日の分は失業保険が出る。
つまり、270日満期の2017年春までお給料と失業保険で悠々と生活できた。

 

しかし、洗濯機を新調したり、電気工事したり、クーラーつけたり、
あれやこれやで引越し用に貯めたお金も底をついた。
また、短時間勤務のため社会保険の対象外。
いわゆる国民年金、国民健康保険の支払いが課せられる。
2016年と2017年は会社都合の失業を理由に、減免と免除の権利をゲットしたのだが。
もうその手も使えない。
2018年からは市民税の支払い金額もグッと上がる。
やばい、
非常にやばい、
払える気がしない、
なんとかしなければ!

 

ブログを書いて収入を得ることにする

そうだブログで稼ごう

いつかは、ブログで稼げればいいなと思っていた。
料理ブログとかを立ち上げて、ゆくゆくはレシピ本をだす。
ガーデニングの記事を書いて、お庭作りのコーディネータになる。
田舎暮らしのブログを書いて、スローライフのライターをする。
そのような餅をたくさん絵に描いて眺めた。

 

めちゃ前向きで猪突猛進なりんごは妄想を膨らませ

ちょっと真面目に取り組んで見ようと思い立った。
時間はある、ほったらかしのブログも何個かある。

枯れ果てたブログをかき集めて、「appli」のサイトを新しく立ち上げた。

とりあえずアフィリエイトかな〜
とりあえず楽天かな〜と広告を貼って見た。
アフィリエイトの開設方法を調べるうちに
「アドセンス」という単語に出会った。
どうもこっちの方が収入率が良さそうだ。
よく調べもしないまま、登録申請をした。

*申請後、「申請が通るための条件とは」を見て唖然
・せめてpv(閲覧数)が100/日 以上になってから
・せめて記事をある程度書いてから
・せめて開設から1〜3ヵ月はブログ1日1件書いてから
等々、

え?、え?、え?って感じ
記事は昔書いたものが枯木も山の賑わい状態だった。
PVってなに?本当に何も知らなかった!
ブログのアドレスを登録してから1週間も経っていなかった。
ああ、もうだめだ!と諦めた。
しかし、奇跡の承認がおりた。
おおありがたい!!

 

現実は厳しい

報酬は雀の涙
しかし、しかし、常に現実は厳しい。

地道にコツコツ継続しないと結果は出ないよ!
最初の1年はスズメの涙にもならないよ!
SEO対策をして、検索上位にならないと全くもって話にならないよ!
等々の厳しい現実

2ヵ月過ぎた時点で
アフィリエイト成果は0円
アドセンス成果は200円ほどだった。
半年後には上記の年金や国保や税金の支払いが始まる。
ついでのおまけにりんご用の新車を買ってしまったのでボーナス払いが待っている。
なんとか5万円/月の収入を確保したい。
このままだと、週4連休の(ゆるゆるの)時間を手放しスーパーのレジ打ちをしないといけなくなる。

 

メルマガとの出会い

ブログのSNSボタンの設定をするために、
ネットを廻っていて巡りあったひとつのブログ。

とても綺麗で丁寧な解説ブログだった、

ただ、心が止まったのは管理人の横顔だった。
なぜだか気になって、思わずメルマガ購読のリンクをクリックした。

 

メルマガはあまり好きではなかった、ウザいイメージしかなかった。
まして自分から、個人のメルマガの登録などしたことはなかった。
でもなぜ、そうしようと思ったのか!
惹きつけたのは管理人の放った引力(オーラ)に他ならない。
そして、送られてきたメールを読み、
メルマガでのアフィリエイト
「ステップメール」のシステムを知ることになる。

 

それから、

気になるサイトに出会うとその運営者のメルマガに登録した。
登録してみてわかったが
気になるサイトの気になるメルマガはアフィリエイト用のステップメールだった。
(つまり、なんだかの商材を売る目的で構成されていた)
ただ私のメルマガに対する印象は 以前とは違ってきていた。
あからさまに商材の紹介と販売に向けてストーリーは作られているのはわかるが、
そのストーリーを感じることは嫌ではなかった。
どちらかと言うと面白くワクワクした。

どうしてだろう、
多分、綴られた文字に込められた思いが感じられたから
それが、押し付けがましくなく共感できたから

 

そして、結果、
メルマガでアフィリエイトされていた商材を購入した。
商材はメルマガを軸にしたアフィエイトビジネスのノウハウだった。

 

とはいえ、購入前1ヶ月くらいは色々ネットをみて廻った。

ブログを主にしてアドセンス収入を得るノウハウもあった。
最初に目指していたものだ、
これはこれで信頼できそうだし魅了的だった。
でもあっちもこっちもできないし
とりあえずひとつ決めて取り組もうと思った。
決めたのは最初に出会ったブログの管理人がアフィリエイトしていた商材
決めた決めては
ブログやメルマガに滲み出た管理者の人柄だった。

「自分もこうなりたい」と強く思った。

 

誰でも将来に不安はある

どんなに順風満帆な人生を送っている人でも不安はある。
今ある日常に不満はないが、満足とは言い難い。

 

子育てを終えて、時間がある、でも楽ではない
年金や保証について、将来に充分な期待はできない
財産がありあまるほどではない、退職金も過大な期待はできない
これから先の老後を考えると安らかではいられない

100年人生政策なんて叫ばれている
いつまで働かせるのか、何をしたらいいのか。

お野菜高いとか、ガソリンが上がるとか、にヒヤヒヤせずに暮らしたい
子供や孫に負担はかけたくない、できればおこずかいくらいあげたい
できるだけ健康でいたいが、「あなたは病気や怪我にはならない」そんな保証はない

 

夢はあったはず

今まで生きてきた中で、1個や2個
やりたいことがあったはず
でも子育てや生活のためにのびのびになり、いつしか視界から消えた。

野望はあるが、資金は潤沢ではない。
ビジネスを始めれば収益ばかりに追われやりたいことを見失う?
いろんな言い訳を何度自分に繰り返したか?
踏み出せなかったのは、家族のため? 将来のため?

夢を叶えることだけが幸せではない
自分の思いを成し遂げることばかりが成功ではない
周りが幸せならいいじゃないか
自分の我慢は取るに足らない

充分報われている
これ以上何かを望むなんてバチが当たる
今以上はなくていい

 

このまま無難に
今以下にならないように守るんだ

 

それでいい

 

運命は味方してくれた、努力すれば叶う夢なら叶えるべき

ここまできた人生をふりかえり
今でこそ言えるけど
運命は味方してくれた、
幾度となく
おとずれた試練
こんなはずでは、、、と叫びながら
断崖から蹴落とされた。

 

しかし、進んで行くうちに気が付いた。
行く手をはばまれたと思っていたが
3年、5年、10年のスパンで見てみると
あれ?
目的地に来ている!
しかも、
自分が思い描いていたより
ちょっと、
こっちの方がいいじゃない!!

そして、
こんな方法があったのかと
いつも驚かされた。

勿論、
怪我もしたし痛みもあった。
でも、それは時がたてば癒える

無くしたもの、捨てたものもたくさんあった
でも、それは時がたてば忘れる

 

——-
離婚して、実家に帰り、田舎で息子を育てていた時
苺畑の真ん中で
「あれ、これって、思い描いた光景だ」
と驚いた、
子供を自然の中でのびのび育てたい。
願いは叶っていた。
写真、いちご畑
——-

息子と実家を出て、引越しをした時
引越し先は息子の生まれた街
「あ、この小学校に通わせたいと思っていた」
参観日、窓から見えるキラキラの海が眩しかった。
写真、広島
——-

 

そして今回、
息子は大学を出、就職して、自立した。
再婚して、旦那さんと一緒に実家に帰った。
りんごも旦那さんも仕事を見つけ生活が始まった。

 

りんごには夢があった。
お家の畑の近くにペンションを建てたい。
美味しいご飯と居心地のいい空間

「ここにきてよかった」
と思ってもらえる時間を作りたい。

畑仕事中、山側を見渡し(他人の土地だけど)
あそこに、あんな風に、
と勝手にイメージしている。

実はのぶ(旦那さん)にも夢がある
「ミニ四駆コース」を作りたい
側でCaffeもやりたい。

田舎道を走りながら、
空き地を見つけては、
構想を膨らます。

しかし
夢は遠い

あれこれ模索してみるが
たちまち資金がない
現実に話が進まない。
「宝くじに当たれば」
が口癖となった。
そのうち
「風が吹くと」
と2番せんじを願ってみるばかりだった。

 

でも今は
「夢はかなう」と思える
そのための条件は
努力すること。
やるべきことをひとつづつやるだけ。
やるべきことは示される。
アドバイスももらえる。

このプロフィールを書いているまさにその時
TVで冬季パラリンピックのスノーボード中継があった。
スノーボード バンクドスラローム
成田緑夢(なりたぐりむ)選手
金メダル獲得の瞬間を LIVEで見ていた。
最後の3走目はTVの前で
「拳を握って、行け!」
と叫んでいた。
インタビューの言葉が心に刺さった。


僕の好きな言葉で
「目の前の一歩に全力で」という言葉あるんですが
怪我をしてもう一度立て直そうとなった時から
未来のことを考えず

目の前の一歩に全力で全力で
それをやってこれたから
今、ここまで上がってこれたかなと思います
未来を見ていたら、絶対に落ち込んでいたし
今ある目の前の一歩を
踏めてなかったような気がします。

写真、パラリンピック

スノーボード バンクドスラローム 成田、攻めて夢の金 毎回タイム更新48秒台(現在閲覧不可)
↓↓↓↓↓↓↓↓

東京2020、目の前の一歩に全力を尽くす 2018年5月31日 20:00更新東京ウォーカー)

 

描いた夢は遠いかもしれない
でも「目の前の一歩」は進める。
彼らの姿を前にして
それができないという理由が成立するだろうか

その先の未来が描かれる

コンセプトは
子育てを卒業した人が自分の為に
自立したゆとりある日常を手に入れる

手に入れた田舎での生活の中で
老後と呼ばれるこれからの生き方を通して
豊かさとは何か、幸せとは何かを伝えたい。
今からできること
今だからこそできることを今やりたい!

20年前、初めて作ったサイト(ホームページ)で書いた夢

写真、初代ブログ
ネットで自分を伝えたいという夢を持ち続けてきた
自分を見つけてもらう手段としてブログを選んだ
伝えたい思いを綴るメルマガの力を知った

今も20年前と同じ言葉が心にある。

他人に自分の感動を伝える手段を探していました。
・・・
もしかしたら、これが私の手段かもしれないな
・・・
どれとて楽しいからがんばります
どうぞよろしくお願いします

伝えたいこと
「夢はかなう」と思う力こそ大事
「夢をかなえる」のための条件は
やるべきことをひとつづつやるだけ

一歩づつ進めば、
夢の完成のためのピースが集まってくる。

今、
目の前の一歩に全力でとりくむ
無駄な時間や努力はなにもない、全てが
夢の大事な1ピースになる

 

あなたに

最後に、ここまで読んでくださったあなたに
りんごから伝えたいことです。

りんごは突然職場を失い、田舎暮らしをすることになりましたが
そのことで、「ペンションをしたい」というかつて夢を描いた地へ戻ってきました。
資金もなく、遠い夢と諦めていましたが、
メルマガ&アフィリエイトというビジネスモデルを知り
その夢が実現できる可能性を信じることができるようになりました。

あなたにも「諦めた夢」がありますか
今、大丈夫だよ諦めなくていいよと言われたら
もう一度みたい夢はなんですか
そして

夢を見るものから叶えるものにしませんか。
「Dreams come true」(夢を現実に)

 

いやいや、そんな大それた
「夢なんておこがましいものはないよ」と
首を振ったかもしれませんが

「すこしでも『ゆとり』ある未来を過ごしたい」
これは立派な夢であり目標です。

これからの日常をランクアップするために
想定外の出来事が頻発する現状に「ゆとり」をもって対応するために

今、できることを始めてみませんか。

「ネットビジネス」や「アフィリエイト」というと
100万円以上の月収を目指すギラギライメージがよぎりますか?

勿論、そういう世界もないわけではありません。
でも、りんごがお伝えしたいのは
日常をちょっと豊かにする方法です。
月2〜3万余分にあれば、充分幸せです!
数万自由になるお金があれば、身も心も豊かになれます。

そして、時間も労力も
経験を積むほどに楽になる。
これからの人生に組み込むにはぴったりです。

このブログやメルマガでお伝えする、情報は
きっとあなたのお役に立てると思います。

ちょっと敷居が高いと思っていた
ネットビジネス
若い人やパソコンにたけた人しか手を出しちゃダメと諦めていた
ブログやアフィリエイト

りんごが今までの
インストラクター&サポート経験を生かして

できるだけ
初心者でもわかるように噛み砕き
シニアでもついていける速度で
次の一歩をお伝えします!

是非この機会に、はじめの一歩を踏み出してください。
りんごのメルマガでお待ちしています(^^)。
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Posted by りんご